令和5年 清澄山修行御礼の経文供養 会長挨拶

 令和5年の清澄山修行は、4年ぶりの会員皆での修行となりました。そして、21支部22回にわたって多くの皆様が御山修行に参加して頂いたことに感謝申し上げます。

 希心會は、コロナ禍の中でも代表者の参拝、そして各自各家庭での祈願という形で御山修行を続けてまいりました。この3年間で感じたことは、やはり希心會の御山修行は、それぞれの支部がそれぞれの決められた日に、老いも若きも、健康な者も身体が大変な者も、近郊の者も遠方の者も、皆と一緒に行をすることが大事なのだということです。しかし、今回多くの方が、感染症や高齢化など様々な理由から御山修行を断念されました。また「3年間自宅祈願で良かったのに、なぜ今年から御山修行に行かねばならないのか?」と思われた方も少なくなかったようです。

 私たち個々には、過去無量につながる御先祖がいます。その無限ともいえる過去生ではどれほど罪を犯し、それによってうらみをもつものがどれほどいるでしょうか?お釈迦様は「すべてのことには原因があって成り立っている」と教えられています。日々の生活の中で、うまくゆかない、思い通りにならないといった四苦八苦は、希心會では過去生の悪因縁によって起ると考えています。私たちの数えきれない御先祖の行為に対してうらみを持つものが、今生に生を受けている私たちに対して様々な害を与えようとしています。そして、それらのうらみを持つ先祖、かたきは、本当は成仏して天上に行きたいと願っているのです。希心會の先祖供養は、自分自身の御先祖、そしてその先祖が犯した罪によりかたきとなった悪因縁に対して懺悔することです。その因縁成仏を願うのが希心會の御山修行です。

 古来、人の霊魂は山上や岬の突端などから天上へ帰るとされていますが、この世に未練やうらみを残して成仏できない霊魂はそこに留まると言われています。清澄山や身延のような霊山では、そのような成仏できない霊魂、悪因縁が多く滞っています。希心會では、日々お経を上げたり、導引きをしたり、御指導で先祖を名乗ってもらってそれにご法名をつけて供養したりして、自分の過去生の因縁成仏を行いますが、それらの行だけでは成仏できない大きな先祖がいます。皆さん個々の、今生に影響を与えている成仏できない大きな先祖は、行衣を着て修行に行った皆さんと共に修行をしたのです。そして、各支部の祈願の日に仲間と共に霊山で修行し、祈願をすることで天上に上って成仏してゆきます。なぜならば、日々の行とは違い、御山修行には希心會の大神様である普賢菩薩、文殊菩薩その他諸天善神、そして各支部の大神様が御旗と共に修行に行って頂いたからなのです。また、支部長や導師といった者が、それぞれの御守護神と共に修行に行くので、多くの神様が、参加者一人ひとりの修行、祈願を助けるために共に修行をされたからなのです。ですから自宅での祈願ではなく、御山修行が大事なのです。

 初代会長は「御山修行には、何があっても行かねばならない」と言っておられましたが、それは、自分自身の悪因縁の洗浄成仏ができる修行だからであり、年配者でも、生まれたばかりの赤ちゃんでも同じです。そして、一回の御山修行で善き順序を頂いても、それだけではまだまだ残された御先祖、因縁はたくさんいます。また、時々刻々と因縁は変化し、新たな因縁が生じてきます。だから毎年毎回御山修行には行かねばならない。皆さん自身の善き順序のためなのです。そして自分のことだけでなく他の人をも救って行く、そうした善き心で修行することで、少しずつ先祖成仏、悪因縁洗浄ができます。皆さん一人ひとりの小さな行の積み重ねが、皆さんの周りの人々を救い、ひいては日本の社会を良くし、世界平和につながり、最終的には皆さん自身の功徳となって行くのです。皆それぞれの事情があるとは思いますが、ぜひ御山修行に行く様、行って頂ける様努力してください。

 我々が日々行っているのは個々の修行です。その行を助けてくれるのが希心會の、支部の仲間です。これからも、ぜひ多くの仲間と共に前進の行をして行きましょう。秋の御山修行には、一人でも多くの方に修行して頂きましょう。皆様のより一層の精進に期待申し上げます。 合掌


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